羽子板のお話
羽子板
羽子板

羽子板の歴史は古く神社などで魔除けや占いの神事に使われていたと思われます。この羽子板がお正月の遊戯や贈り物に用いられたのは室町時代です。当時の「看聞御記」という書物には、永亨4年(1432年)に宮中で、「こぎの子勝負」という羽根突きが催されたことが記録されています。災厄を被い、幸福を祈る気持ちが込められた羽子板が、お正月の遊びや新年を迎える贈り物としてふさわしかったのでしょう。お正月に羽子板を飾ったり、女の子の初正月に羽子板を贈る習わしは、古くから伝わる魔除け、厄被いの意味によるものです。新年の幸福を祈ったり、誕生したばかりの赤ちゃんが、丈夫に、すくすくと育つようにとの願いを込めて飾ります。

江戸押絵羽子板
江戸押絵羽子板

綿を布でくるんで、さまざまに立体的な絵柄を仕上げげる「押絵」が羽子板に取り入れられたのは江戸時代の初めごろです。それが、江戸時代後期の文化文政期(1804~1829)になると歌舞伎役者の舞台姿を写した羽子板が登場、江戸の人々の人気を博しました。江戸庶民文化が創り出した工芸品である押絵羽子板は、歌舞伎の発展とともに発達し、その伝統的な技法は今日も受け継がれ、現在の押絵羽子板師たちが伝統工芸品「押絵羽子板」製品を作りだしています。

羽子板が「女の子のお守り」
羽子板が「女の子のお守り」と言う意味は?

羽子板で突く羽根に付いている黒くて堅い玉は、無患子(むくろじ)という大木の種です。読んでのごとく「子が患わ無い」という意味で、羽子板が無病息災のお守りになった由来です。また、羽根が病気を運ぶ蚊を食べてしまうトンボに似ていることから、子が蚊に刺されないように、つまり無病息災の意味につながったとも言われています。